本日の○○(仮)

いろんなモノを書いたり『薔薇族』作ったり、幅だけはやたら広くやってるおっさんの身辺雑記です。オレに関心ない方にはあまりお勧めできないかもね(笑)。

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八〇年代讃美と意外な事実

9月7日(水)

 早目に起床。メールをチェックすると里見満氏から原稿(テキストとイラスト)が届いていたので、「確かに戴きました。ご苦労さまでした」と返信し、六時半頃から仕事開始。原稿は本当はメールで『薔薇族』編集部に送ってしまおうと思っていたのだが、よく考えるとデータではない素材(イラスト原画や紙焼き写真)があるのでそうもいかない。「誰かを受け取りに行かせましょうか?」とも言われたが、さすがにそれは恐縮なので、昼過ぎにチョイと届けに行くことに。途中、実家から送られてきた梨と薄いトーストなどをかじりつつ、レイアウトを済ませ、あとがきを書き終わったら一〇時半。風邪っぴきでもあるので身だしなみには目をつむり、ヒゲも剃らずに不安定な天候の中、外出。やけに早いのはせっかくだから本屋をまわって、新しい仕事用の資料探しをしようという魂胆があるから。
 山手線経由で西日暮里で降りて上野まで歩き、不忍通り沿いにある「古書ほうろう」「ブックオフ」「往来堂書店」「オヨヨ書林」などを廻る。資料的なものはなかったが、それでも数冊購入。 「ほうろう」では南陀楼綾繁の出品コーナー、「古書モクロー」で『歌謡曲という快楽 ?雑誌「よい子の歌謡曲」とその時代』を購入。すでに伝説となりつつある(よね?)八〇年代のアイドルミニコミ『よい子の歌謡曲』の軌跡をふりかえるムック本だ。あの頃の歌謡曲というのはとにかく完成度が高かった、と思う。たとえば今度、実写リメイク版が公開されるアニメ『タッチ』の主題歌。やはりどうやっても「♪呼吸をとめて一秒……」というアレを超えるものは作れなかったと見えて、ユンナとかいう韓国人の女の子による二〇年を経てカヴァー盤が発売された。映画では一応、「挿入歌」という扱いらしいが、はっきり言ってYUKI(元JUDY AND MARY)の唄うフニャフニャした主題歌(映画のCMのなかで流れてるよね)なんかよりも多分、観た者の脳裏にくっきりと焼き付いてしまうことだろうと思う。それほどあの歌は素晴らしかった(巣素晴らしすぎて、それ以降の主題歌、たとえば『愛がひとりぼっち』などがあまり印象に残らないくらい)。作詞・康珍化、作編曲・芹澤廣明という当時のヒットメーカーの作であるが、作品の本質やテーマをたったあれだけの文字数・秒数で明確に言い表わし、視聴者の胸にストレートに叩き込んでしまうのは、まさに神業に近いのではないか? とすら思う。きっとそのとき、二人の上には「神」が降りてきていたに違いない。康珍化も芹澤廣明も、そんなに好きな作家では正直ないんだけれど、あの楽曲に関してだけは双手を上げて絶賛するぞ。
 上野公園を抜けて(美術館前を通ったら、ちょうど彫像を搬入中だった。ロン毛のイマ風美青年の全裸像。思わずガン見してしまったが、今度ちゃんと“鑑賞”しに行こうかな)一時ちょっと前に編集部到着。渡すものを渡したあと、ちょっと雑談。S-2氏が不意に、「こないだ日記に、奥山貴宏のことを書いてたじゃないですか」と言ってきたので、「ん?」と思ったら、なんと彼は奥山氏と大学時代からの親しい友人であったのだという。これには仰天。ちょうど『薔薇族』の復刊作業でバタバタしていた頃に、氏は最後の入院をしたのだという。
 聞いてみると奥山氏というのはやはりオレの推察した通り、「書く」ということが「空気を吸う」「メシを喰らう」のと同様、日常の一部であった人らしい。キーボードを叩く体力を病魔に奪われてしまってもなお、口述という手段を講じて日記をつけ続けた(最後の日付けは亡くなる前日)のは、一部に邪推されているような「自己顕示への執着」でも「特別な執念」でもなく、ただ「生きている限り当たり前にしていく行為」、つまり「余計な気負いなどはない、ごくごく自然なこと」であったのだろう、という確信を新たにした。
「魚心、鳥知らず」という言葉があるように、根本から個性を異にする者同士というのは、なかなか厄介なものだ。こちらの意図というものを、たやすく相手はわかってくれない。奥山氏の日記の中に、こんなくだりがあった。女友達から送られてきた一通のメールを用いての意思表示だ。
【小学生の頃読んだ自伝で「さとこの日記」とゆーのがあって(これがやばいくらいリアルで泣ける!)白血病かなんかになった小学生の書いた日記であれに比べると随分現実逃避な感じする。】
 という「ご意見」に、氏は、
【読者が増えればこういう人がもっと出てくると思われる。ちょうどいい機会なので、ここで一度この日記のスタンスを表明しておきたい。これまでも問題が生じたその時々で日記のスタンスを問うては、軌道修正を施してきた。日記がこれまで続けてこれたのも、雑誌並みに厳しく方向性を決めてきたからなのだ。】
 と前置きしたうえで、次のような事柄を書きつらねた。
【日記を使って自分の身の悲惨さを訴えたり、同情を求めたり、哀れみを誘ったり、そういう行為自体も吐き気がするし虫酸が走る。】
【コンセプトはああいう自分の内面に目を向けた感動系の闘病記とは全く逆。自分の内面、感情、「助かりたい」とか「死にたくない」とかそういったものは全部突き放し、可能なかぎり削除した上で書いている。】
【一見、赤裸々な生の肉声が綴られている様に見えるかもしれないけれど、それは赤裸々に見えるように書いているから。】
【怒り、絶望、恐怖、悲しみ、そういう要素は全部オレ一人だけで楽しむためにとっておく。勿体なくて、誰とも分かち合いたくない。読者には悪いけど、全部オレ一人だけの領域。
それに今のオレにとってはガン闘病すらも、日常の一部に過ぎない。音楽を聴き、本を読む、映画を見る、人に会う、原稿を書くという生活要素の中に「闘病」っていうのが一つ新たに加わっただけ。何も一日中病気のことを考えて生活している訳ではない。
一日中、ガンのことを考えて生活をし、それを日記に書くのが現実的だっていうのなら、そんな現実はオレには必要ない。現実逃避でいいや。
だから、このまま死ぬとしても日記はこの調子で続けていくつもり。】
 過激な言葉をあえて用いたりしているが、語っている内容はいたって淡々としている。「プロのモノカキ」であれば、きっとうなずける話であろうと思う(思いたい)。
 最近、mixiやらBlogやらの普及によって「作家気分を楽しむシロート衆」というのがウゴのタケノコ状態であるが(いや、それを批判しているのではないよ。その中からプロになる人だってきっと出てくるはずだろうし)、どうも「見せ方」に「美意識」とか「ダンディズム」というようなものが欠落している人間がポツポツいたりするのがマイる。特に、ビョーニン(たいていウツ系)です、と前置きしているような皆様にその傾向が顕著である。そういう人たちの多くは「こんなキツイ思いをした」「こんなヒドイ目に遭った」「今日もシンドかった」というような文面を来る日も来る日も賽の河原の石積みのように繰り返し書き続けているのだが……いや、イチイチ読んじゃいませんよ、そんな「私ってカワイソー」しか言わない文章なんて。題名を見るだけでこっちの気が滅入るし、中身なんてたいていソーゾーがつく(これは決して先入観で言ってるのではなく、実際に読んで得た結論である)から。「私ってカワイソー」なんてことがえんえん書いてある文章なんて、誰が読みたがる? 「わかるわー。私もあなたと同様、カワイソーなの」という自己憐憫組合員ならば、あるいは「傷を舐めあう」という意味あいで読みたがるかもしれないが、少なくともオレは御免こーむります。奥山氏は「虫酸が走る」そうだが、やはりオレも「反吐が出る」。そういうものこそ、鍵のかかるモノホンの日記帳とかに記して、誰の目にも触れさせないでいてもらいたい。自分のビョーキをネタに、読んだ者を大笑いさせられるくらいの根性があるなら話は別だが(それこそ吾妻ひでおの『失踪日記』のように「鬱」や「アル中」を文学の域にまで高められるならイイですよ)。アンタが「ビョーキ」なのはもちろんアンタの勝手だが、オレには全然関係ないことですから。残念ッ! てな感じである。
 かなり陳腐で大雑把な物言いであるが、あえて端的に言うなら「自分自身(の運命)をもネタの一部として客観しできるか否か」という部分がプロとアマとの分かれ目であるような気がする。「自分の悲劇は他人の喜劇」ということを知っているかどうか、というのも。死を眼前数センチのところに迎えながらもなお、
【死にたくないな。
 書店で会いたい。
 本屋でセットで買ってくれ。】
 という「不快な湿り気」をみじんも感じさせないメッセージを発信しえた奥山氏は、最後の最後まで「プロ」でありつづけた人なのだと思う。
 三時半、辞去。外はけっこう強い雨。山手線経由で帰途に。乗って早々に天気は回復。いよいよ日本もスコールが当たり前になってきた感じ。家に戻る途中、めしや丼にてショウガ焼き定食(S-3氏に「やっぱ風邪にはショウガっすよ!」と言われたのが深層意識にあったのか?)を食べたら、肉汁がとんで白いシャツに染みがついてしまった。四時四〇分帰宅。すぐに染み抜き。漂白剤に浸けている間、MXテレビ『5時に夢中!』を観る。岩井志麻子の「韓国人は徴兵期間に入る前にホー●イを矯正する人間が多い」というおよそ夕飯どきにふさわしくない発言に、すかさず「あぁ。じゃ、僕も軍隊に入らなくちゃ」とイカくさい答えを返すなど、今日も徳光Jr.と志麻子女史の丁々発止が冴えわたる。ルックスは全然タイプじゃないのに、最近ちょっと彼に惹かれはじめているのがちと心配。独身というのもちょっとポイントを上げてしまう要因である。むむ。アシスタントの男の子に「なんか今日は、ずっと女の子として育てられてきた美少年みたいな髪型だねぇ」とマニアックな突っ込みをし、むだに動揺させてしまうあたりも司会者としての自覚に欠けていてGood!
 洗濯、入浴を済ませ、七時頃から仕事再開。かじよしみさんの原稿が届いていたので、その作業にまずかかる。送信後、ほかのものをゴニョゴニョと。十一時までやったあと、読書タイム。『ユリイカ増刊』の続き。零時ちょっと前に就寝。今日は世の中、広いようで狭いもんなんだな、とつくづく思い知らされましたオレ。
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  1. 2005/09/08(木) 19:53:26|
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