本日の○○(仮)

いろんなモノを書いたり『薔薇族』作ったり、幅だけはやたら広くやってるおっさんの身辺雑記です。オレに関心ない方にはあまりお勧めできないかもね(笑)。

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気圧の乱れと堕落食

6月7日(水)

 六時起床。やじうまプラスを観ていたら、鈴香容疑者の少女期について触れている新聞記事の見出しに「人くいじんしゅ」というウキウキするような単語(他人が彼女をそう呼んでいたのか、はたまた自らをそう称したのか、そのあたりは失念)があり、ひょっとしたらアナウンサーが音読してくれるんではないかとワクワクしたが、あっさりシカトされてしまって残念。昨夜の『怪奇大作戦』では「トルコ(風呂)」という禁止用語が思いがけなく聞けて喜んでいたのだが、そう度々オレを喜ばせてはくれないな。チックショー! ほかにはこんな芸能ニュースも。
【スケバン刑事あややのママは斉藤由貴!………………初代スケバン刑事が4代目の母親だった! 女優斉藤由貴(39)が、歌手松浦亜弥(19)主演映画「スケバン刑事 コードネーム=麻宮サキ」に出演することが6日、分かった。斉藤は85年放送開始のドラマシリーズで初代を演じた。21年を経た映画では、松浦の演じる初代の愛娘が4代目を襲名するため、母親として登場することになった。ドラマ放送当時、斉藤は18歳。「てめーら、許せねぇ!」と悪に立ち向かってきた初代サキも母になっていた。斉藤演じる4代目の母はニューヨークにいた。不法滞在のため、ささいな事件で司法当局に拘束される。その娘の松浦は日本に強制送還され、母の釈放を条件に4代目を襲名する。これが映画版のストーリーの軸となる。斉藤が「スケバン刑事」に再登場するのは、85年の放送当時以来初めてだが、愛着ある作品だった。撮影で使用したヨーヨーは今も大切にしている。思い出深い作品からの出演依頼に「昔のファンが喜んでくれるのではと思って決めました」と快諾した。斉藤は、時代を反映したストーリーに「新鮮ですね。劇画タッチの原作にとても近い当時の作品と全く違うことに、興味がわきました」と話した。斉藤と松浦がそろって登場する場面はないが、衣装合わせで対面した。放送開始当時生まれていなかった松浦は、慣れないスケバン口調やヨーヨー、アクションに「スケバン刑事って大変ですね」と漏らした。斉藤は松浦について「漫画のキャラクターのような個性を持った方という印象なので、すごく合うなぁと思いました。新しい時代のスケバン刑事をどう演じているか楽しみ」と合格点を付けた。】
 86年の南野陽子主演版では、「もうセーラー服は似合わないでしょ」と東映側のオファーをやんわり拒絶したという斉藤由貴だけに、今回の承諾はちょっと意外。そういえば、原作漫画のサキの母(麻宮ナツ)もヨーヨー名人で、サキのヨーヨー技はじつは母から伝授されたという設定だったが、今回の映画もそんな感じなのかな。しかし「斉藤と松浦がそろって登場する場面はない」つてのはどういうこっちゃ?
 九時半、ミクシィなどを使って『HGの呪い』の打ち上げ会へのお誘いメールを各氏(友人・知人および雑多な人間と逢ってもっと視野を広げたほうがいいのでは? と思える相手)へ出してから、外出。本棚の搬入が遅れるおかげで時間の余裕ができたので、これ幸いと阿佐ヶ谷?荻窪?西荻窪の古本屋めぐりに出ることに。午後から夕立ちがあるかも、とまたも脅されてはいたが(最近は毎日こんな予報ばっかだな)、古本虫のうずきには耐えられん。一〇時すぎに阿佐ヶ谷着。ブックオフを覗いたあと、荻窪へ移動。途中、SHOP99で菓子パンなどを買ってかじりながら歩く。荻窪で二軒ほど覗いたあと、昼になったので、てんやにて天丼。出た頃、晴れているのにぽつりと一、二滴ほど雨粒が落ちてきた。が、それだけで終わり、降り出すことはなくて一安心。しかし気圧が乱れているせいか、やたらと眠くなる。もう一軒まわったあと西荻へ。歩きながらも眠くて眠くて、うくびが止まらない。西荻では五軒ほどまわって一〇数冊購入し、総武線で帰途に。駅近くの酒屋で焼酎の四リットル瓶やら割りモノ(コーラやジュース)やらを買ってから、二時すぎに帰宅。汗になったのでシャワーを浴び、ついでに洗濯機もまわす。上がってこざっぱりしたところで三〇分ほど昼寝する。
 起きて雑用あれこれ。夕飯はめんどくさいのでカップヌードル一個と、疲れ目がひどいのでブルーベリーヨーグルト。嗚呼、またもちゃんとしてない食事だぁ。健康によくないとは知りつつも、独りだとどうも手抜きしてしまう。雑用を終えて、九時、入浴。焼酎のパインジュース割りなどをチビチビ呑りつつメールチェックなど。気圧のせいか、疲れのせいか、酒のせいか、十一時前からやたらと眠い。十一時半、就寝。明日からはしばらく『HGの呪い』の受け渡しやら打ち上げやらで会食の機会が増えるので、てんで足りてないであろう野菜類はそのときまとめて摂りますよオレ。
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  1. 2006/06/09(金) 07:19:11|
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オーメンとついに完成!

6月6日(火)

 六時起床。ワイドショーでは秋田の容疑女性の常軌を逸した行状の数々を、収録映像(雑誌カメラマンに「フィルム出せ! オラァッ!!」とスゴんでいるところとか)をまじえて各局報じていた。マスコミに対して反発的な態度の多かった相手だけに、その意趣返しということか? とにかくどこも「ひどい女だ」という印象を視聴者に植え付けようと躍起になっている感じ。まぁ確かに近所づきあいしたいタイプではないけれど。しかし全国で子どもが日常茶飯的に殺されている時代、というのはいかがなものか。最近じゃ「こないだ殺された子がさぁ」と話しかけても「え、どの子のこと?」とか訊き返されてしまうからなぁ。
 〇六年六月六日、という“オーメンの日”の今日も朝から夕方まで出仕事。コンビニでおむすびを買ったら、正味期限が「六月六日午後六時」であった。ここにもオーメン。午前中、書棚を昨夜オーダーした業者からケータイにTEL。二本だけならすぐに揃いますが、もう一本が来月のアタマくらいにならないと入荷しないのですが……と。とりあえず用意できるぶんだけ先にお届けしましょうか? という担当氏の申し出を、「いえ、全部揃ってからで結構です」と辞退し、電話を切る。じつはまだ搬入用の片づけがほとんどできていないので、届けられる日程はゆっくり目のほうがむしろ助かるのである。あー、これで荷物整理のスケジューリングがだいぶ楽になった(強行軍でやらなければな、と少々アセっていたのだ)。ちょっとは遊ぶゆとりも生じてめでたいこと。
 ちょっと必要な資料があるため、夕方以降は雨になるかもしれませんぜ、と天気予報に脅かされながらも五時半、高田馬場。数店まわり、七時帰宅。と、郵便受けに不在時配達通知が。なんだろか、と見てみれば、送り主は自著『HGの呪い ?Gay YearBook 2005?』の刷りをお願いしている印刷会社! とりあえずの目安は今週末だったのだが、それより早く上がってきたのだ。さっそく宅配業者に電話して再配達してもらうことに。三〇分ほどして荷物が運び入れられてきたのだが、これがデカくて重たい段ボール七個口も! この半分くらいの量を想定していたのだが、甘かった。三〇〇冊のボリュームというのをナメてましたね私(泣)。整理途中の乱雑な部屋の片隅になんとかスペースを確保し、ワクワクしながら封を切る。一冊取り出し、しみじみ眺めると、心配していた本文部分は思っていたよりかなりキレイに仕上っている。DTPデータではなくレーザープリンターの普通紙出力を版下として入稿したのだが、ずいぶん鮮明に刷りだされるものだ。データ入稿したカラー表紙に至っては、とやまみーやさんの原画が質感も含めてきわめて忠実に再現されている。これは感動的である。たかだか同人誌印刷屋などとあなどることなかれ(誰もあなどっちゃいないか)。
 ご飯一膳に海苔で夕食後、入浴。パソコン立ち上げ、めったに書かないミクシィ日記に「本、完成!」の旨を記す。気がつけば外は雨。天気予報はやっぱり当たった模様である。ネットニュースには、こんなふざけた記事。
【「絞首刑は恐怖、残虐」 宮崎死刑囚、『創』編集長に手紙………………幼女連続誘拐殺人事件の宮崎勤死刑囚(43)が2月の死刑確定後、月刊誌『創』の篠田博之編集長あてに「絞首刑は恐怖で残虐。薬を使った執行でなければいけない」と記した手紙を出していたことが6日、分かった。篠田編集長が明らかにした。手紙の内容は7日発売の7月号に掲載される。篠田編集長によると、手紙は死刑確定後から5月までに、宮崎死刑囚の母親を経由するなどして5通届いた。死刑について宮崎死刑囚は、死刑判決を受けた他の事件の被告名を挙げ「絞首刑を執行される時は恐怖とたたかわねばならず、反省のことなど考えなくなる。薬を使用すれば反省や謝罪の言葉を述べる確率もだんぜん高い」「踏み板が外されて落下する最中は恐怖のどん底に陥れられる。人権の軽視になる」「職員から『今日執行されます』と告げられてから恐怖を抱くという残虐な目に遭う」「法律は残虐な刑罰を禁じている。薬で意識を失わせ、心臓を停止させる方法にしなければいけない」と書いている。約10年にわたって文通を続けている篠田編集長は「死刑について書かれた手紙は初めて。判決が確定し、死刑を意識するようになっているのではないか」と話している。】
 人権の、残虐のとオマエが語るなオマエが、という話である。刑が確定し、“死”というものが身近な現実として迫ってきたからこその悪あがきであろうが。死刑なんて判決はカンタンには下らない、仮に求刑されたとしても“人権意識の高い善意の第三者”の皆様が(様々な詭弁や裏技を駆使して)断固として阻んでくれるだろう、と快楽殺人鬼どもがタカをくくってしまえるような世の中、司法の在り方というのは絶対に間違っている(と、オレは断言する)。現在、“刑罰”であると唯一いえる(それ以外のものはすべて“矯正プログラム”であり、罰という色合いはきわめて薄い)死刑が「なかなか適用されない」「適用されてもたやすく実行されない」ような有名無実化・形骸化してしまっては、凶悪事件に対する抑止力はますます衰える一方だ。人権派のインテリ様方がなんと言おうと、人間なんてモノは結局、罰則がコワイから悪事を踏み止まっているにすぎないのである。おっかないお仕置きがないとわかれば、誰が自制なんぞするものか。
 『怪奇大作戦』の再放送を観てから零時半ごろ就寝。オーメンの日に完成するとは、オレの著書としてこれほど相応しいものもあるまいさ(笑)。
  1. 2006/06/09(金) 07:18:13|
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