本日の○○(仮)

いろんなモノを書いたり『薔薇族』作ったり、幅だけはやたら広くやってるおっさんの身辺雑記です。オレに関心ない方にはあまりお勧めできないかもね(笑)。

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ムダ時間とさすが怪人

2月27日(火)

 七時起床。食欲ないので朝・昼抜き。牛乳だけ飲んで服薬。体調をおもんばかって今日は外出せず。一日、原稿仕事にかかりっきりにする。午前中は、ここ数日、逆恨みの因縁をふっかけ、粘着質なメールを一日に複数送りつけてきている相手に対面時、叩き付けてやるための書類を作成。被害妄想にこりかたまり、ヒステリックにわめいているヤツには真逆な、徹底した冷静さ・理路整然さで対応するのが得策である。そんな人間のために貴重な時間を費やすのは業腹だが、これでようやくあちらとの腐れ縁(関係者であるかのごとく世間から思われ続けて困り果てていた)も正式に断ち切れることだし、と自分を納得させる。おもしろいもので、書類が仕上ると、早く叩き付けてやりたくてウズウズしてくる。遠足を待つ子どものごとし(笑)。おのれのこういう性格をみると、作家という道を選んだことが大正解であるなぁ、と思う。モノを創るというのは、ある意味でのキチガイでなくてはできんのだ。伊藤文学氏を観てみるがいい。あの人は……(以下、自粛。知りたい人は、いまオレが作っている『薔薇族』を買ってください)。
 不毛な作業を終え、午後からは晴れ晴れとした気分で『薔薇族』のページ作り。文学氏に電話し、お願いしてあった作業の進捗状況をきくと、三つのうち、ひとつは「進行中」、ひとつは「これからやろうと思っている」、ひとつは「あ、それをするんだっけ」と(笑)。まぁ、いいんデス。なにしろ相手は「怪人」なんですから。ひとつ進めてくださっているだけでも御の字なのだ。
 作業再開。途中、ずっと欲しかった資料が比較的安くネット古書店に出されていたのを見つけて注文。古本とは自分の足で地道に探して手に入れるもの、という信念を持っているのでなるたけけネット買いはしないようにしているのだが、この本についてはもう何年もあちこち探しても見つからないので仕方なく。図書館に行けば容易に読めるのだが、資料魔というのは自分の本棚にそれが並んでいないと気が済まないのだ。我がことながら因果な話である……。なんか前世で書物にまつわる、よほど因業なことでもしたんだろうか?
 五時すぎになってようやく食欲がわいてきたのでチャーハン作って本日最初で最後の食事。と、夕方のニュースでこんな訃報が……。
【「柔道一直線」高松英郎さん死去………………「柔道一直線」などで名バイプレーヤーとして活躍した高松英郎(たかまつ・ひでお、本名・武市哲郎=たけいち・てつお)氏が26日、自宅で心筋梗塞のため、死去した。77歳だった。高知県出身。密葬は自宅で親族だけで執り行われるが、遺族の希望で日程は公表していない。高松氏は1951年、大映東京に第5期ニューフェースとして入社する。「巨人と玩具」(58年)でサラリーマン役として注目を浴び、映画俳優として活躍する。大映を退社後の69年には「柔道一直線」(TBS系)で“地獄車”の車周作役で国民的人気を得た。最近では映画「黄泉がえり」(03年)や、テレビドラマでは大河ドラマ「八代将軍吉宗」(95年、NHK)など、幅広い役柄を好演した。】
 オレはぎりぎり『柔道一直線』世代なので、高松さんがいなくなってしまったのは本当に寂しいなぁ。とはいえ車先生を演っていた頃はまだ三十代だったというのにはちょっと驚き。「白影」の牧冬吉さんもそうだが、あの頃の三十代というのはホントに年寄り臭かったのだなぁ。まぁ、当時のオレがまだ幼児だったから、ということもあるのだろうが。しかし最近の三十路はもっと若々しいぞ。V6の坂本なんて、今年三十六で、まだ現役アイドルやってるし。なにはともあれ、高松さんに合掌。
 七時すぎに今日のノルマを終え、大事をとって、昨日同様八時には布団に入る。昨日同様ウダウダしながら十一時すぎに就寝。昭和を彩った人がまた一人消えていく……と感傷的にならざるをえないオレ。
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  1. 2007/02/28(水) 20:46:44|
  2. 日記|
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引退と早寝

2月26日(月)

 七時起床。牛乳のんでから服薬。本日も朝から夕方まで出仕事。ネットにこんな芸能ニュース。
【三遊亭円楽が引退表明・脳梗塞復帰も「ろれつが回らない」………………落語界の大御所、三遊亭円楽(74)が25日、東京都千代田区の国立演芸場で一席上演後に会見し、第一線からの引退を表明した。一昨年10月に脳梗塞で倒れ、昨年は引退を匂わす発言も飛び出した。この日は進退をかけた国立名人会の高座。得意の古典落語「芝浜」を演じたが「ろれつが回らない。こんな調子でお客さまの前でやるのは情けない」と、52年の噺家人生に自ら幕を下ろした。約30分の予定を、40分以上かけて熱演した直後の決断だった。この日は、落語会「国立名人会」のトリとして登場。客席から盛大な拍手を浴びた。しかし、上演後の会見では「だめですね。もうちょっと、はっきりしゃべれるかと思った」と自分自身を分析。「小さくても通る声でやらなくてはいけない場面で大きな声になり、ニュアンスが伝わらない。入場料を取ってやるには恥ずかしい。今日が引退する日ですかね」と話した。昨年10月に大阪、先月には東京で高座復帰していたが、「メチャクチャだった」と厳しく自己評価。引退を撤回する考えはないかとの質問にも「あたし自身が許さないんです」と言い切った。現在、リハビリに加え、長く患っている腎不全のため週3回の人工透析を受けるなど体調が芳しくないことも明かした。「もう、よくなるということが全然ない」という。ただ今後、一門会などでは「気分がよければ、座談でも何でもしたい」とした。話すことには引き続き意欲があるようだ。
23年間務めた演芸番組「笑点」の司会は、同番組が40周年を迎えた昨年5月に勇退。直前の4月22日の卒業会見で「落語をもう一度やるのは無理な気がする」と高座生活に限界を感じている心境を吐露した。だがその後、気力を奮い起こして大阪、東京での高座復帰につなげた。今月4日には、東京・浅草公会堂で行われた浅草芸能大賞授賞式に出席し、予定外の小噺を披露した。一方で、引き際については今回の「国立名人会次第」とたびたび発言。半年以上前から、1日3回程度のけいこを重ね、この日の高座にかけてきた。】
 スポーツ新聞によると、「あの人は落語界の宝。やめるなんて勿体ない。今度あったらアタシが叱りつけて撤回させる」と歌丸師匠がまとはずれな怪気炎をあげているそうだが、当の本人が自身の限界を見切って引退を表明しているんだから、それを止める理由がどうしてアカの他人にあるのか? 円楽師匠が「宝」か否かは別にして(笑)、自身の芸にダメ出しをして潔く身を退く、というプロ精神はあっぱれではないか。政界などで顕著だが、定年のない世界というのはどうしてもズルズルと居座り続ける老害組が増えていくものだが、今回の円楽師匠の英断はそうした悪しき傾向に対する痛烈な批判ともとれる。加齢が魅力となって芸の味わいと魅力を増す、老いることによってさらにスキルが高まる(原ひさ子さんなどはまさにその典型例であった)というのならば死ぬまでいてくださっていいのだが、ただ既得権益にしがみつき、院政をしきたいがためだけに居座るのは不動産の占拠屋となんら変わらず醜悪でしかない。オアシのとれる芸が見せられないのに噺家の看板だけをだしつづけて老醜をさらしたくない、という円楽師匠の芸人美学をなんにも言わずに受け入れてやるのが本当の友情なのではないか、と思うぞ。
 六時帰宅。今週末には大切な仕事のミーティングがあるので、なんとかそれまでには風邪を治すべく、大事をとって八時には早々に布団に入る。しかしさすがに早寝すぎるのでちょっと起きては寝、ちょっと寝ては起きての繰り返し。本式に眠れたのは『水曜どうでしょうclassic』を観おえた零時すぎ(笑)。classic内の八年前のオーイズミくんもオレ同様風邪っぴきであった。
  1. 2007/02/28(水) 20:45:35|
  2. 日記|
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