本日の○○(仮)

いろんなモノを書いたり『薔薇族』作ったり、幅だけはやたら広くやってるおっさんの身辺雑記です。オレに関心ない方にはあまりお勧めできないかもね(笑)。

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モノカキの心意気と寄稿者たちの謎

9月6日(火)

 定時起床。パソを起ち上げると、mixiメールでマイミクの某氏より、九月一日の日記で「これってホントなのかね」と、ラストに「?」を四つもくっつけて紹介した「テニスの王子様」記事が、「冗談報道サイト発の嘘ニュースですよ」と知らせがあった。やっぱりねー。どう考えても正気の沙汰とは思えない内容だもの(まー、正気とは思えないことを言い出す団体とかってのも実際にあるんだけどね)。しかし、オレがネタを仕入れたサイト(偶然いきついたトコなのでもはやドコなのかわからないのだが)では「事実」と信じて紹介していいた(と思う)。「ジョーク」として発信したモノを「マジ」だと信じた人間が「事実」として他に伝え、それに様々な尾ひれがついてどんどん信ぴょう性が高まってくる。なるほど流言飛語というのはこうやって広まっていくのだな、と妙に納得。サテ、してみると昨日の「TBS対ジャニーズ」もどこまで真実なのか?????(←今度は五個にしてみました)
 本日も朝から夕方まで出仕事。九州では超大型台風で大変らしいが、東京はまぁフツーの雨天という感じ。その中を出勤。昼、ずっと買おうか迷っていた『ユリイカ増刊・オタクVSサブカル』を購入。千三百円の雑誌って、やっぱ簡単には買えないよなぁ。ついでに仕事の資料として『メゾン・ド・ヒミコ/オフィシャルブック』(キネマ旬報社)も。千六百円+税。これも安くはないが、まー、仕事の資料は特別だい。
 話はいきなり変わるが先週、古本屋で『ライトノベル完全読本』(日経BP)というムックを買った。近頃、しきりと「ライトノベル」という言葉を耳にする(先月の『ダヴィンチ』もその特集だった)のだが、なんのことを差してるんだかよくわからなかった。今回はじめて知ったのだが、オレらの世代が「青春小説」とか「ジュニア小説」なんて呼んでたものだったのね。ほー、ぜんぜん読まなくなって久しいんで知りませんでしたが、いまはそう呼ばれてるんですかアレは。で、たまたま何か(すんません、ザル頭なんで忘れました)についてネット検索していたら、『ライトノベルファンパーティー』(http://lanopa.sakura.ne.jp/)というサイトの『創世紀』(http://lanopa.sakura.ne.jp/kumi/)というコーナーにいきついた。オレがまだ“コバルト少年”だった頃から(ありていに言いますと、『コバルト』の前身である『小説ジュニア』時代からの読者だったりする。トシがバレるなぁ……)活躍されている作家・久美沙織(くみ・さおり)氏が、同ジャンルについて熱く語っている、やたら長文で(ヒトのことは言えんが)めちゃめちゃ面白いコラム集である。その中で、久美氏は、「コバルト文庫の第一線から退いた(退かざるをえなかった)経緯」についてこんなふうに書かれていた。
【その頃、人気のトップをとっておられたかたがたは、既に、既婚者で、お子さまもおられて、マンガ原作者などの経験をたっぷり積んでこられたかたがただった。「売れる」原稿を書く力をもってるひとたち、編集部の要望に答え、読者の要求に答えることが、たぶん「苦」ではないかたがただったのだと思う。
 別会社だが、花井愛子さんがいつかアンケートに答えておられるのを読んでガクゼンとしたことがある。「自分の書きたいことなんて別にないわ。読者が読みたがることを書くだけ」
 そうか……そんなことができるひとがいるのか!
 そんなひとには、ぜったいに勝てない、とわたしは思った。
 この世界では。
 この読者では。
 わたしはもう受け入れられない。わたしにはもう居場所がない……。】
 参考までに。「花井愛子さん」というのは、コバルト文庫の後発ライバルである「講談社X文庫」を中心に、複数のペンネーム(神戸あやか、浦根絵夢、等々)を使い分け、「月に三冊」みたいなキ●ガイじみた刊行ペースをこなしていた、名実ともに「女王」的存在だったヒトだ。「元」ではなく「現役」それも制作会社経営のバリバリのコピーライターでもあり、小説の世界に“マーケティングリサーチ”などを始めとする「広告的手法」を取り入れ、従来のそれとは根本から異なる執筆スタイルを構築した。ハッキリ言って小説自体は「まったく面白いとは思わなかった」が(だってそれは読者として想定された少女たちに「合わせた」ものだから、当時すでに二〇代だったオレにピンとくるはずなどない)、「理詰めで小説をつむぐ」というやり方そのものはなかなか興味深かった。オレが氏の書くモノを面白いと思うようになったのは、異母兄弟との骨肉の争いの果てに自己破産するが、ソレをネタにして新刊を上梓する逞しさ・したたかさを見せ始めてからである。あー、長い「参考」だなぁ。
 さて本筋に戻るが、久美氏が古巣に対して抱いた失望感は、「書きたいものを書く」のではなく、「読み手の読みたがっているモノを唯々諾々と書く(書ける)」書き手が主流になり、氏のような前者タイプの作家の需要がなくなってしまったからであった。いみじくもこれは、ゲイ小説にも似たようなことが言える。「ゲイ小説のキモは、“独創性”だとか“話そのものの面白さ”ではなく、ヌケることに特化した“設定”だ」というようなことを昔、誰かが口にしていた(すんません、これも誰だったか忘れました)。要するに、「いかに読者の好みそうな素材を色々と盛り込めるか」がゲイ小説の命だというのである(パフェみたいだけどな)。たとえば「体育会」「先輩後輩」「高校教師」「肉奴隷」「グラウンド」「輪姦」みたいな読者の“好物”さえ派手に盛り込めば、べつにストーリーなんてのは「どこかで読んだことがあるような」もので構わない。いや、むしろ「デジャヴ的」であるほうが喜ばれるのだ、とその人は言った。
 九〇年代半ば、精力的に小説を書いていた時期がオレにはあった。それらは『さぶ』『アドン』『薔薇族』などに掲載されたが(『バディ』の賞では次点だった。そして『アドン』は一〇〇枚書いてノーギャラだった)、これだけは胸を張って言えるのは、「“シチュエーションしかない”ような作品だけは一度たりとも書いたことがない」ということだ。オレの作品は一〇〇枚くらいのものが多く、たいていは前後編の分載形式となったが、一度『さぶ』に全部を一挙掲載されたことがあった。それはエロチックコメディで、当然のごとく「反シチュエーション至上主義」作品であった。翌々月、その感想が読者ページに載ったのだが、「●●氏の『●●』は面白くないわけではないが、さほどヌケない小説にあんなにページを割くのはおかしい。だったら『体育教師』を再録してほしかった」というのがあった(もちろん、純粋に「面白かった」というのもありましたが)。「面白いけどあんまりヌケないからダメ」というのはなんなんだろうね? 娯楽小説のキモは「面白さ」だと思うんだけど。結局、読者がゲイマガジンに求めているのは「ズリネタ」しかないのかい!? という失望感が正直、あった。もちろん、オレとてその気になれば「読者の喜びそうな」モノを書くことくらいできます(だってオレも花井氏と同様、コピーライターだもん)。けど、それでは今度はこちらが「面白くない」のだわ。また、それは「小説屋」ではあっても「創造者」ではないような気がしたし。
 そんなこともあって次第にそっち方面への関心が薄れていき、いま『薔薇族』で連載してる『パレット』を書くまで、じつに一〇年近くも小説に関しては筆を折ったままになっていた。今回執筆を再開したのは、「ズリネタ」という部分での要求が雑誌からネットへと移行した(それがゲイマガジン衰退の大きな要因でもあるんだけど)この時期なら、ゲイ物であっても「フツーの小説」と同じ視点で捉えてもらえるのではないかと期待したから。オレのもくろみが結実するか、はかない夢としてついえるかはまだわからないが、少なくともオレは久美氏のように、今後も「書きたいもの」を書いていく人間でありたいと思う。余談であるが久美氏がコバルト文庫から一九八二年に出された『とってもシンドローム』は若いゲイの子たちに是非とも読んでみてほしい傑作である。当時、高校二年だったオレもウルッときた。もっともとっくに絶版なので、簡単には読めないだろうが……。
 溝口哲也くんからケータイに電話。「遅れてすみません。いま、書き直したものをメールしときましたんで」と。昨夜も本業で徹夜だったようだが、ホントに律儀な好青年であることよ。
 台風が逸れたのか、はたまたまだ序章にも達していないのか、なぜかだんだん晴れてきた中、六時頃に帰宅。夕食・入浴を済ませ、六時頃から仕事。『薔薇族』映画特集、ラストとなった漫画家の里見満氏に「どうですか??」とメールす。アシスタントを雇わずに仕事する彼はいつもギチギチの日々なので、催促するのはいささか心が痛むのだが……。とりあえず「明日の朝までに」ということになる。
 原稿書きの合間に『メゾン・ド・ヒミコ/オフィシャルブック』をぱらぱらと。当然のコトだが、作家・評論家などの寄稿がすべてこの作品は「是」である、という前提なのが「ふーん」という感じ(特に桜沢エリカ!「物語の登場人物にこんなに心を揺さぶられたのは初めてかもしれません」というコメントが帯に使われていたり、「私にとってとても大切な作品となりました」なんて手書き文字で書いたりしているが、本気でそう思っているのか? アンタの大勢いるらしい「ハイセンスなゲイのお友達」たちはどー言っているのだね?)。当事者サイドのインテリ層にはかなり●●されている映画なのだが、ノンケさんたちにはそんなに素晴らしく映るのだろうか。いや、オフィシャルブックが誉めに終始するのはまぁ当たり前なのだが、その他の雑誌でも軒並み好意的に評じられているのだよ。これほど「こちら側」と「むこう側」とで評価の分かれる作品というのも珍しい。いろんな意味で観てみるのが楽しみである。
 零時頃まで原稿書きしたあと、『ユリイカ増刊』を少し読んで就寝。書くほうも読むほうも疲れるから、長文日記は避けるようにしてンだけどねオレ。
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  1. 2005/09/07(水) 07:38:12|
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