本日の○○(仮)

いろんなモノを書いたり『薔薇族』作ったり、幅だけはやたら広くやってるおっさんの身辺雑記です。オレに関心ない方にはあまりお勧めできないかもね(笑)。

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予報適中とビックリ医者

2月20日(月)

 六時起床。本日も朝から夕方まで出仕事。「本日は昼頃から雨になるでしょう」と天気予報では言っていたが、朝方はけっこう晴れ間も見えていた。これは崩れは半日くらい後倒しになるかな、と思っていたら、キッチリその時分から雨が。なかなかやるじゃん、予報士。けっこうしっかり降る中、五時半帰宅。キャベツラーメンとリンゴヨーグルトサラダで夕食。そして入浴。七時から仕事。郵便の梱包をしたり、プリントアウトしたり、連絡メールを打ったり。
 報道ステーションを観ていたら、オウム松本(と書くと、なんかピン芸人みたいだね)の話題のなかで「接見した精神科医」というふれこみのオジイチャンが出てきたのだが、その年齢がなんと一〇〇歳! 思わず「ひゃ……っ!!」と漫画のように声をあげてしまった。こちらの目の錯覚か、はたまたテロップが間違っているのかどちらかだろうと思ったが、念のためにネットで検索すると、以下のようなものが。
【100歳の精神科医、オウム・松本被告と接見………………東京拘置所に勾留されているオウム真理教元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告(50)=一審死刑、控訴中=に1日、精神科医の秋元波留夫・金沢大名誉教授が接見した。秋元氏は東大教授などを歴任し、1月に100歳を迎えた精神医学の権威。接見は被告の弁護団の依頼。秋元氏は30分の接見後、「長期の勾留で精神に異常を生じる拘禁反応を示しており、裁判を受ける能力を完全に失っている」と語った。】
 なんかの間違いではなかったのか……。年齢で能力を推し量るのようなことは基本的にしたくないであるのだが、さすがにこれは「大丈夫か?」とやや不安になる(被害者側はもっと不安、というか不満であろう)。それにしてもオウム裁判に関わる者というのは、あの横山“やぁ?めぇ?てぇ?”元弁護士をはじめとして、どうしてこうもビックリ人間勢揃いなのだろうか。
 ビックリといえば、例の大学生塾講師による女児殺害事件の弁護団。加害者は犯行時「剣を持って女児が襲ってくる姿が見え、防ぐには相手を刺すしかないと考えた」ような心神喪失状態にあり、よって「無罪とするが妥当」というのは、ほんとうにマトモな神経と思考回路をもった人間たちの言うことなのだろうか? このテの事件が起こるたびに思わされることであるが、この国ではなんかキチガイにならないとすごく損をするような気がしてならん。……って、まるで自分がキチガイではないようなことを言ってしまった。今の時代、完全に正気をたもっているヤツなんていないんだけどね。
 仕事、十一時まで。ここのところさすがに身体を酷使しすぎている感アリなので、今日は早寝することに。『きらきらアフロ』も観ずに就寝。生きてると驚かされること多々あり、だなぁオレ。
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  1. 2006/02/21(火) 21:39:09|
  2. 日記|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:2
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コメント

「心」を診ること

こんばんは。
いつも楽しませていただいてます。ありがとうございます。

いちおうかつて心理学専攻だった人間としては、記事でおっしゃっている事件に限らず、「今の刑法を考えた(審議した)人たちって、『専門家』が万能だと思ってたんじゃなかろうか」という思いがすることがしばしばあります。
心理学の専門家であっても、その人がどのくらい心に障害をもっているかは「しぐさ」「言動」「生活習慣」に頼らざるをえないわけで。「脳の○○という部位が腫れているから××という精神障害」というような結論を導き出すことができるわけではなく、実際には診断者の「主観と経験」で判断せざるを得ないケースがほとんどです。

心理学を学んでおきながら自己矛盾する部分もあるとは思いつつ。大災害や悲惨な事件の後に「心のケアを」と簡単にコメントする人たちやメディアには釈然としないものを感じます。「かわいそうで労わるべき被害者」であることをことさら当事者に意識させるほうが余計に傷を深くしないか、そんなことより生活環境だったり経済的状況だったりをケアするほうがよっぽど重要なんじゃないか、など思ったりして。
「心の傷」があまりに安易に語られる風潮に正直なところ抵抗を感じていたりします。(すみません、脱線話でした)

幼い子供が誰かに損害や危害を加えたら、親族という間接的な存在が償う結果になるのは目にしますが、一方で、誰も“断定”できない精神障害ならお咎めなし、というのには、やっぱり納得しかねる思いがします(悪は許せない、などという安直なヒューマニズムからではなく)。誰の目から見ても明らかな測定基準があるのなら話はまったく別なんですが。

長々したコメントで失礼しました。
  1. 2006/02/25(土) 23:49:28 |
  2. URL |
  3. なぎ #-
  4. [ 編集]

コメントありがとうございます

なぎさん、コメントありがとうございます。オレの言うことはまるっきり床屋政談の範疇なんですが、そのぶん市井の人間としてのキタンのない物言いになってると思います(笑)。
少年法にしてもそうですが、日本人というものがこれほど様変わりしてしまった時代に、前世紀の遺物的な概念で対応しようとしても無理が生じるのは当然のことだと考えます。健常者の法では裁けないというのなら、そういう人間を裁く(と言うと、またヤヤコシクなってくるんでしょうけど)ためのものを制定すべきなのでは? と、たぶんたいていの人が思っているのではないでしょうか。精神疾患に対して腰がひけている法曹界ではありますが、そのあいまいさのせいで殺されなくてもいい人間が殺されたりしている事実が厳然として存在するわけですから、最低限「無罪」なんてことだけはしないでおいてほしいもんですよねぇ……。
医療関係者、法律関係者、ともに一家言あるかと思いますが、犯罪の質が欧米化している現状をかんがみて、ぼちぼち「改正」をしていただかないと、それこそあぶなっかしくてオチオチ表も歩けないですよ。人権偏重のいまの世の中、いちばん強いのは「弱者」ですが(笑)、それを利用した理不尽というのもかなり横行している感じで、マズイ気がします。
  1. 2006/02/27(月) 20:36:04 |
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  3. 影坂狩人 #-
  4. [ 編集]

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