本日の○○(仮)

いろんなモノを書いたり『薔薇族』作ったり、幅だけはやたら広くやってるおっさんの身辺雑記です。オレに関心ない方にはあまりお勧めできないかもね(笑)。

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パフナイトと長?い一日

9月1日(土)

 涼しい日々、更新中。窓を開けて寝たら寒いくらいだった。8時くらいから仕事。1日1コラムをやってから、『薔薇族』原稿。朝青龍がらみのワイドショーを見ていると、横綱審議委員の内館牧子が出てきたのだが、その顔が『ルパン3世』のマモーそっくりで驚く(笑)。
 5時、外出。早稲田のパフスペースへ。今夜のイベント「パフナイト/選挙をふりかえる──レインボーは蜃気楼だった?!」にパネラー出演するのだが、スタッフとしての会場設営サポートもあるので、早めに行っておく。着くと、すでにパネラーのひとり、レインボーカレッジの遠藤まめたくんが来ていた。買い出しの手伝いをしたり、椅子を並べたりしているうちに、あっという間に客入れ時間の6時半。サテどのくらい入るものか……とあやぶむ声もあったが、いざフタをあけると40人以上の人出で、椅子席はすべて埋まった。かなり長くなりそうな予感がしたので7時かっきりにスタート。尾辻かな子事務所に一般ボランティアとして参加した6名(オレ含む)をメインパネラー、会場のお客さん全員をサブパネラーとして、「どうして尾辻かな子候補は勝てなかったのか?」というクエッションに対する自分なりの回答を開陳していく、という趣向である。ちなみにオレが述べたのは、以下のような内容。
「理由(1)選挙運動のターゲットを、特定の層へとあまりに絞りすぎた。
「時間的制約という問題から、一般人よりもLGBT側へと特化する」という話ではあったけれど、それにしてはLGBTの中でもずいぶんな層を切り捨ててしまっていた気がする(たとえば、「すこたん」等とはどうして結びつかなかったのか? 結びつく努力をしたが拒まれたのか、最初から眼中になかったのか? 後者であるとすれば「私は人をつなぐのが仕事ですから」という尾辻氏の言葉は空虚に聞こえる)。
「二丁目やクラブイベントに集まる人々」や「バディ読者」といった、ある程度可視化されている層にばかりに偏りすぎたやり方(クラブでのキャンペーン、ドラァグ的センスの宣伝素材の配付など)というのは、そこに該当しない人間から見れば「相手にされていない」「自分たちとは関係のないもの」という印象を禁じ得ない。
 理由(2)アカデミズム的視点から「欧米型リブ」に傾倒しすぎたせいで、日本人的な気質(国民性)にそぐった形での選挙運動ができたとは言いにくかった。カミングアウトを前提とした運動というのは日本人には荷が重すぎるし、決定的な絶望感にまでは至っていない(とりあえず、多少の不自由はあってもそこそこ楽しくは暮らしていける。ある程度の不自由さは誰もが持っているものだから仕方ない、と諦めている)日本の場合、そこまでしての変革は望んでいない。日本人は悪政に対して愚痴はこぼしても、自らの手で不平不満の元凶を取り除こうとはしない種類の、基本「おとなしい」人種であるから(たとえば年金問題ひとつ取っても、他国なら暴動が起きてもおかしくないほどの一大不祥事だというのに、特に目立った抗議行動に出ることはない)、日常の平安を犠牲にしてまで新しい動きに共鳴するということはまずあり得ないだろう。
 それと、尾辻氏は自身の身をおいている場所の大きさを過大評価しすぎたのではないか? 自分と同じ意識を持っている人間は、当選ラインに達するくらいは潜在しているはず! という自信(思いこみ)が強すぎた気がする。 当事者側・一般側・マスコミなどもあわせて、いわゆる「意識の高い人々」の賛同はある程度得られたけれども、それでは得票数にはおのずと限界がある。
欧米の先例をただ輸入してきて、「これが素晴らしいのだ!」と声高に叫びながら、強引にその枠にはめもうとしても、同意見の人間以外には効力をもたない。一般人はふりむかない(=現実感がないから)。 90年代リブが一般層にまで広まらなかったのも、そのあたりに原因がある気がする」
 これに対し、参加者のひとりから「さっき言っていった“日本人的な気質”というのが私にはわからない。与党に対する“NO”という意思表示を、民主大勝という形でちゃんとしたではないか。また、尾辻サイドが“つながろうとしない”ところがあるのだとすれば、どうしてあなたの手でそれをしなかったのか?」という質問が上がり、こちらも答える用意をしていたのだが、時間の関係でできなかったので(なんせ9時半の終了時間を1時間くらいもオーバーしてしまったのだ)、代わりにこちらに記しておこう。
 まず「日本人気質」ということについて。質問者は「日本人は今回、民主への投票という形で怒りを表現した」というが、つまりそれが「日本人の起こせる意志表示行動の限界」なんである。べつに暴動を起こせとまでは言わないが、真剣に怒っているのならばせめて自民党前でデモをするとか、抗議文を送るとかしてもいいのだ。そういう明確な拒否行動がないから、ヌラリヒョンな安部チャンは「選挙はその時々の運が左右するものであり、民意に拒絶されたとは決めつけられない」などとイケシャーシャーと言ったりするのだ。心の底からほんとうに怒っているなら、「安部政権などはもはやいらない!」という意志を、けむにまきようがない「言葉」という形で示すべきである。「投票」という「間接的抗議」によって、とりあえず「自民大敗」という結果にはなったが、それだってあくまで前回の参院選でだけの話であり、決して政権交代に至ったわけでもなく、また、ちょっとしたマスコミ操作によって、またぞろ自民に支持が集まるようなことだって充分起こりうるのだ(実際、さくらパパや姫などの不祥事続出によって、選挙のときにはそちらを推した国民の意識はもうすでに揺れはじめている。烏合の衆の心とはかようにイーカゲンなものなのだ)。
 これは自身の体験的に得た結論だが、日本人の大半は基本的に「大義」や「正義」といったものだけでは動かない。「保身」と「現世利益(これをすると、自分にはどういう見返りがあるのか?)」とが約束されたうえで、はじめて重い腰を上げるのである。だから、尾辻サイドのぶちあげた理想がどれだけ素晴らしいものだとしても、それに賛同の意をあらわすとき、大きなリスクを伴う(今回の場合は「周囲にカミングアウトをする」ということ。レズビアンとでかでかと刷り込まれたチラシを周囲に配るとしたら、当然「どうしてあなたがそんなことやっているの?」「あなたも、そういう人なの?」と訊ねられるだろうから)のだとしたら、「それならば別に現状のまんまでいいや。自分がそこまでしてまで変える必要があるほど、現在の状況はひどくはないし。今のままでも、そこそこ暮らしていけるんだから」と拒絶してしまう。スタンドプレーをよしとせず、痛みを伴う改革よりも「そこそこ」というぬるま湯状態を好む、なにごとにも「横並び」と「無難」を良しとする、それこそが日本人気質なのだ(だからオレみたいな過激派は嫌われるのだよ)。
 尾辻支持の気運がなかなか高まらなかったことの背景にはまた、我々が「性教育」と「政治教育」というものを受けてこなかったということがある。「政治とはなんなのか? どう関わればいいのか」ということを知っている人間はほとんどおらず、だからまったくの無関心だったり、逆にやみくもに嫌悪を示し、病的なまでに拒絶反応を表わしてしまったりする(よくわからないものだから「怖い」のだろうね)。政治家というのは本来「権力者」でもなんでもなく、単に「有権者が快適に暮らすためにいる便利屋」にすぎないはずなのにサ(そもそも便利屋ふぜいのことをセンセイなんぞと呼ぶ風潮からしておかしいのだ)。無知はときとして最大の罪となる、というのがオレの持論なのだが、政治フォビア(嫌悪症)の元凶もまさにそのあたりにあるんだろう。
 こうした島国育ちの農耕民族ならでは(?)のノンキさや保守性(過激な改革は望まないし好まない)というものを考えると、大陸生まれの移民上がりの狩猟民族国家で培われたノウハウをマンマ移植してきても馴染む道理がないし、その路線での意識改革などは100年たっても叶わないだろう。日本では「日本で生まれた方法論」を用いないと、前進などは望むべくもないのだ。
 そしてもうひとつの質問「オレが尾辻側にアドバイスしなかった理由」についてだが、これはホントに単純な話で、「そこまで突っ込んだことをするまでの立場ではないから」である(笑)。石坂わたる選挙のときは、彼とはもともと友人関係にあったし、選挙事務所というのもあるンだかないンだかわからないような状態であった。だからアレコレ口出し(説教ともいう)もしたし(できたし)、落ちたあとには次回にむけての活動内容の示唆書まで渡したりもした。しかし尾辻氏の場合は私的な交流など特にないし、お歴々が名をつらねるカッチリとした選対(選挙対策本部)というものがあったわけで、一介のボランティアふぜいが方向性に口を出すような余地、というか「そういった人間の声を聞き入れる体制」のようなものは存在しなかった(まあ、かりに目安箱的なものが存在したとしても、果たして進言したかどうかは不明であるが。二丁目原理で進められているように見える状況下で、世間一般にむいた価値観でものを言ってもしょせんムダ、という印象が正直、拭えなかったし……)。今回、メインパネラー、サブパネラーともにあれだけみんな熱弁をふるったというのは、「もっとこうすればいいのに……!」とイライラしながら尾辻選対のやり方を見ていたからであったろうと思う。もちろんそうした声を全部聞き入れていたら、それこそ「船頭多くして……」の見本のような感じになってしまうだろうから、ある意味「少人数で、密室内で、独断的に」方針をきめるというのは正解なのだが。
 ただ、これだけは認識しておかなければならないと思うのだが、石坂わたるにせよ、尾辻かな子にせよ、物心両面の大きなリスクを覚悟のうえで、日本の性的少数者の顕在化・可視化のために働いた、というのはきちんと評価すべきなのだ(顔も見せず、名も名乗らず、「一度逢って話しましょう」という呼びかけにはシカトを決め込む、誹謗中傷チャンたちよりははるかに上等な生き物である)。時間がなかったうえ、先例がない(東郷健氏はいたが、あの人のやり方は特別すぎて汎用できないからなあ)ためにやり方(有権者へのアピール方法、助っ人の集め方など)としては決して巧くはなかったが、現段階ではまあ、あんなもんなんじゃないかと思う。少なくとも、今回のイベントのような「セクシャルマイノリティが政治を語る」という流れを生み出したのだから、それだけでも大きな前進である。今年の2例は大きな、そして貴重なデータを残してくれたのだから、それをムダにしてはいけない!
 ……それはさておき、オレと遠藤まめたくんに対して質問をしてきた人、そういえば自分の意見ってなんか言ったっけ? この会は「敗けた理由は何か、自分なりの答えをもちよる会」であったはずなんだけど。開催の主旨、ちゃんとわかって来てたのかな? ああ、こういう思い込みで暴走しちゃうあたりも「日本人気質」てヤツなのかな?(笑)
 10時半ごろでシンポジウムは終了し、つづいては二次会。こちらもかつてないほどの盛況ぶりだったらしい。友人知人の来場者にご挨拶する。11時すぎ、お開き。片付けをおえて、11時半ごろ辞去。パネラーのKさん、石坂選対でいっしょだったレズビアンのTちゃん、ライターのまーこの4人でちょっと呑みにいこうか、という話になるが、早稲田界隈は夜が早く、どこも閉まっている。なのでタクシーで高田馬場まで移動。数年来、行きたいと思っていたレトロ系駄菓子居酒屋に入る。3時の閉店までねばってシンポジウムの続きについて話す。そのあとはジョナサンに場所を移して5時まで。駅前で三人と別れて徒歩にて半ごろ帰宅。倒れるように寝入る。「カルトさん」の長い一日はこれにて終了。
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  1. 2007/09/03(月) 23:04:24|
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